じゃんぷ

高台からふわっととなりの山へ渡った。時間だけが過ぎていってもいいじゃない、今の僕は半年前の僕にこう言いたい。無駄な時間などなくて、少し過ぎるのは早い感じがしたけど、コロナになったり、ひどい胸の痛みで病院のベットに寝ることになったり、学会的なセミナーで他大の教授に学識の洗礼をあびたり、地道に1日1日を生きてきたじゃないか。

それぞれの一人称で人生があるんかなとか、車までの5分間、家までの63分間、空想タイムにそんなことばかり考えて割りと幸せだったとおもう。最近、すこしばかり調子が悪いが、手足が温かいから大丈夫な気がする。何があるか、怖がってたものほど鍵になったりして、わかんないな。怖がる時間をこわー!っと楽しんで、鍵を手に入れたら喜んでって過ごしてたら、人生って案外すぐおわっちゃうかもね。

解散するの?

わたしのバンドは解散するらしい。

終わるバンドのライブしてたなって思ったひと、それ正解かも。いやだな

恵健吾氏とは高校からの付き合いで、ずっとバンドをともにやって来ました。ここから僕はひとりで舟をだすかんじ。準備するものがわからなくて、舟がずっと出せなかったらごめんなさい。でも旅がしたい。

核心にせまるような曲を作るところまでは、ぼくの中では至れなかった。やり残しがまだまだあるから、くすぶりが消えないうちに曲は作らなきゃ、今以上のものは難しいなと思う。

バンドは人とやってること、自分がバンドを運営してると、ついわかんなくなってしまっている。でもそれは曲にたいしても、演奏する事、活動することに敬意がないといけないなと思った。ふと、小学生のころ、スポーツ少年団でグラウンドには挨拶をしなさいと、言われたことをおもいだした。

こんな気持ち、彼女とわかれたときにも抱いたことない、やるせない気持ち。あれができてなかった、いつかやらなきゃ、のまま迎える「終わりにしよう」の言葉。悔しい。

でも間違ったことを沢山してきた。1st シングルのエンジニアさんが親切心で細かい修正に時間を割いてくれたのに金額にケチつけたり、面倒みてもらってる人の飲み会を断ってこういうつながりは大事だよって教えてくれてるのに金が無いの一点張りでキレたり。本当にごめんなさい、間違っていました。だから解散に繋がったといっても過言ではないです。

お金がかかるけど、ケチっては自分の作品が枯れてしまうような、そういうのは良くないんだなとわかった。反省しています。悪かったかも知れなかったことがたくさんある。

自分の曲全体のことばかり気にしていて、ニュアンスをだすのに必死で、自分の足元(物理的にもエフェクター)をみてなかった。踏み間違えるなら長いパッチケーブルを買えばいい。ライブの前日にパワーサプライが壊れたならその晩に直すか買い直す。何とかできたこと、色々指摘されて気づいた。自分はまったくみれていなかった。一緒にいてくれている時間、作り上げるものに対してお金を全然払わないし質が落ちるって、それはもうそっち側だったら自分も嫌だと思うなあと、話していてとても思った。

誰もいないところから、また始まるなら。今度は丁寧につみあげていけそうだ。でもちょっとシャットダウンして放置すべきかも知れない。これは誰かに相談したい。

そもそも文章にできてないけど、僕はめちゃくちゃ悲しい。悔しい。もうなにもできる気がしない。生活も就活も、辞めたい。そういう気持ち。

 

ああ。明日も明後日も来なければいいのに。心が整うまでの間も、時間だけは過ぎていきそう。つらいなあ。

ロクガツの夜なんかは

 
じめじめとしている。日中はずっと、夜はたまに。 ひんやりするときもある。

 

昨日は夏至で、 これからは夜が長くなることにホッと胸をなでおろす。 これからは新聞配達の原付にイライラしなくて良くなっていくから ね。

 

風は夜をとおく運んでいく気がする。目の前の空気が、 すうっと遠くへ。

 

眠れ。わたし

 

2022 6/23  2:17

記憶と海辺🕊️

4月から風のような日々が過ぎ去って、気がつけば5月になった。いまわたしは目まぐるしい情報量にうとうとしながら、勝手にうごく手足に任せて目的地をめざしている。眠たくなり始めたときの、運転手の感覚によく似ている。目的地というのは大袈裟だが、西へ東へと向かっているようなものだ。

 

5月1日。日付が変わってしまってから、2度目の月末をともに締めたことを認識する。盟友などの言葉では到底表すことができないような"人物"であった。元来、わたしは彼女のなかで、故人となっていたわけだが、どういうことか蘇生して言葉を交わすことができた。あの時、駅で声を掛けられなければ、おそらく、その後タイミングが何度訪れても、この場にいることはなかったのだと思う。

 

そこで5月3日に会うことを約束する。

 

5月2日、起床すると頭が重たいことに随分と意識をとられた。何もかも引き摺り回したこのながく重たい髪ではとても会える気がしなかったのだ。調べ出すとすぐに、月曜日に開いている美容室は少ないことを痛感した。10件リストアップして、6件目よくやく捕まえた。

 

5月3日午前3時、彼女の街へ愛車を飛ばす。こういうときに重大事故は発生するのかも知れないと思った。だから着いてすぐに、わたしたちと愛車の3人で、写真を撮った。そこから4時間掛けて海へ、ずっとずっと記憶の底にある映像をなぞるような旅。しかしどうにもわたしたちは、少なくともわたしの目に映るもののほとんどが、似ても似つかぬものになっていた。当時わたしはこんなに鮮やかな景色を、50パーセントは逃していたとおもう。もったいない。それほど、わたしのなかで何かが変わってしまったのだ。

 

4日未明、およそ24時間の日帰りを終えた。きっとこの先、月へ飛ぶことがあっても、それが1日かかる旅でも、この旅より長い道のりに感じることはないとおもう。

じめっとした起床

3/1(火)

岐阜のスタジオで練習。遊び心をもったバンドをべつでやってる。平和な世の中だ。

先ほど戦争の夢をみて非常にバッドな気分だ。 警報から程なくして平和なのッパラが吹き飛ぶ。

自分はただ逃げる他なく走りだそうとしたバスを飛び降り、全力疾走で山へ。もう日本へくるならこっちは日常から銃ももってないんやからミサイルなんて撃たんとってくれと感じた。

抗戦する気持ちなど1ミリもないが、これさえ罪な意識となってしまったら僕は行き場をうしなうのだろうとおもった。

今年の2月は寒くて好きでした。

2月

始めごろわたしはテストに埋まっていた。なによりも先にテスト、テストだ。この時ひどく生活リズムを崩し、慢性的な不調(腹痛、頭痛)にみまわれたが後に入学後、私史上もっともよい成績をとることができた。競争社会のなかで他者比較っておおいけど、自分のなかでこれだけ変わったっていうのは見つめるべきだと思う。なんといってもやる気がでる。

そして学期が終わったあとも補修に追われる。取りきれなかった4周年目の英語をなんとか5年目を迎えまいと、"4日も"返上して単位の回収を試みた。見事かっさらってやった私に拍手。こんなにどろんこ魂もやしたのいつぶりだろう?根っからのピッピースタイルだから記憶にない。今回は気分もとったるぞ!!だったから良かった。

中ごろ、バレンタインの日には日本酒ボンボンというものをもらい!酒好きは歓喜した!(のみくらべの感覚の日本酒&焼酎入りチョコレート)

16日には、いしはま君、右京氏、オクナカ氏による弾き語りイベントに出演した。結構心の底がじわじわと暖まって、懐かしい感情を抱いた。僕にまだ音楽の好きさの未開拓の地があるなんて気づかなかった。まだ進める道が洞穴の中にあった。

19日は、ずいぶんと温厚になった親父に初めて誕プレをあげた。洗車用の泡立て噴射器で、思ってたよりずいぶん喜んでくれた。とても嬉しいおもいで。

20日、ひさびさにハポンに出演した。「いまの私」を歌に山盛りにのせて、フロアの奥のほうまで大きな風をおこした。これだけ出ていなかったのに、あんまり緊張しなかった。とても安心感があって、、それはデイトリップ軍団によるイベントだったからなのか・・? 真偽はたしかめようがない。でも確実にこの日、僕は歌をうたいたいこれからもと思った。(とても大切な日)

22日、今年は2022年2月22日に22才の男だったから(誕生日をむかえ23才になるのだが)ここぞとばかりに誕生日アピールをして、コール&レスポンスさながらの祝福メッセージをニマニマと眺めては読んだ。過去イチ祝われた誕生日でアピールしなきゃ損ね~と思った。

25日、鶏肉をみてたら仲良くなった友だちと柳ヶ瀬をふらっとあるき、僕は古着屋の店員とくっちゃべってた。友だちと寿司屋に寄ろうとしたらマンボーかつ人気すぎて19時にSOLD OUTしてて寿司より強くなろうな・と誓った。アバヨズという去年解散したバンドを聴いた。

26日、バイト後ハポンへ遊びにいき、生きてることを感じた。カレーの味がバターぽくなっていて、優しさにじわっときてしまった。柚子サイダーをのみながらYOTOWNでタンキュー先輩のプレイに感嘆し、踊りまくった。

27日、謎に夜中に嘔吐し、午前中のバイトを休み、超回復にあてた。午後からのバイトには復活した。疲労となんとなく(就カ○という)気重なストレスにやられて、肝臓がしんでるか、肺気胸がぶり返してる感じだった。さらによく寝て、なおした。

28日、また別のエンジョイ勢なバンドではっぴーになる。夜中に車部によばれて私の車をちょっと移動したとき星がめちゃめちゃ綺麗だった。夜風に春を、感じてしまった。

明くる日も確かな足取りで

13~~~31日!! のできごと

13日(木)

翌日からテストで利用するからという理由で明日から三連休だ。

14日(金)

新年1回目のバイトに張り切って出発した。前日の大雪で大渋滞にはまり5分遅刻してしまった。しょぼくれていたら通りすがりが自販機のコーヒーを持ってきてくれて心が暖まった。ゆきちゃんを1年以上ぶりに食べ、ぐわっと来てしまった。後半のバイトに戻って深夜に営業が終わった。

15日(土)

夜更けから店長と2022年がんばりたいことを話していて気づいたら愉快な仲間たちが集まってた。みんなで朝まで飲んで燦々と日が降り注ぐなか帰宅、その後二日酔いで1日起きることはなかった。

16日(日)

頼まれた車の修理をし昼までに何とか酔いをさまして(頭も覚まして)教え子に伝授タイムした。夜からバンド、くたくたで帰宅。

17日(月)

疲れたままげっそり、このままでは風邪をひきそうで嫌だなーと思って午前中は休養した。午後からグループを組んだ授業に出て作業。カレーが食べたくなった。カレールーが切れていて24時に空いてるスーパーなんて無く、コンビニへ行く。すると知らない世界に直面する。カレールーがやけくそに高い。スーパーに並んでるやつと全く同じものが100円は高い。夜中にカレー食べたくなるピーポーが結構いるのね~とおもいながら最安のセブンのカレールーを購入。酸味をお酢とかで加えたらかなり美味しいカレーになった。(もとはすごくシンプルな味わい)

18日(火)

午前中の講義をうけ、午後は休養のためにゼミを休み、これではいかんと魚を買ってきて鍋にした。かなり回復した。

19日(水)

今日は1日休みだからいいなと思っていた。寝て万全の体調を整えた。

20日(木)

早朝の授業に出席し、あんパンを買って気分をあげた。結局たべものが一番救ってくれると思った。めちゃくちゃいきたくなかったが午後まで学校で講義を受けたらちょっと心が救われた感じがした。

21日(金)

バッドな精神で極端に体が冷えて感じる。これはたぶん昼夜逆転のせいだなとわかっているが直せなかった。授業が朝から夕方まであり、そのままお久しぶりハポンしようと企んでいたが体調がバッドだったらまずいなーと思い見送って寝込んだ。気力の喪失ってだけで体調が特段悪くなかったのだが、久しぶりですの挨拶は万全を期したかった。

22日(土)

夜からバイトへ。ギリギリだと気分がどぎまぎするのでと家を早く出る。最近またaikoにやられている。車内は爆音が鳴り響く。やはり渋滞に巻き込まれたがマージンを削りながらも余裕の到着。渋滞の魔物にあっかんべーしてやった。受け付けにお久なクドーさんがやって来て、「たからもの」を聴かせた。この曲はクドーさんに一方的な感謝を抱いていたから、ふらっとやってきた彼が話しかけてくれてよかった。11月から聴かせるタイミングを伺っていたことも伝えた。

23日(日)

ひたすらだったこの一週間はミツメとaikoしか体が受け付けなかった(Radioheadは白米なのでいつでも食す)。僕は大切にすべきものを大切にできたんだろうかとか、いまやるべきことは何なのかとか頭が忙しかった。だから精神的にもう参ってしまって、心のなかの僕は背を丸くしてうずくまっていた。それでも容赦なく時間の雨は降り注いでくるから、傘の買えるコンビニまでは歩かないといけないなと思い、何とかたどり着くことができた。傘になってくれるものは自分が好きな事・やりたいことだからこの日曜日はやりたいことをやろうと決心していた。午前中に伝授タイム(家庭教師)で僕の知識をできる限り授け、午後から自分が自分のために使う時間をつくった。改めて考えればこういう時間って追いやられてしまってたなと思った。ただただ温泉をめざし、大好きな愛車ビビくんをはしらせ、下呂の奥地へたどり着いた。雪深く、静かな露天風呂に浸かったとき僕は感動して泣いた。サウナと水風呂も繰り返して、大切なものコトを目の前に思い浮かべて、ああそうだよな。とただ頷くだけで心がほぐれていった。テレパシーを温泉より天に授けた。好きな食べ物さえわかってなかった自分だが大切におもう気持ちだけは噛みしめて雪がこんもりと積もる道を帰った。僕はこのとき完全に回復した。(帰りの雪道が壮絶すぎて、帰宅できた頃にはもう身体中疲労でバキバキだった。)

24日(月)

午後から発表があり、なかなか意図してる事が伝わらず難し~と思った。このとき自分がこの現実をさらっと受け止めていることに驚いた。心が柔らかく、強くなっていた。

25日(火)

まだできていない作業などの後ろめたさでゼミへの足取りが重くなっていた面も少なからずあった。しかしスイスイっと身体が動いてくれて何とか結果をひとまず見せられる形でゼミに参加できた。とても自己肯定できた。

26日(水)

情状酌量してもらってる講義への提出資料を完成させるべく作業漬けになる。こだわりすぎるところが客観視してみえる。まあなるようになるさとおもう。結局まだ終わらなかった。でも気分はサイコー

27日(木)

夕方からの授業にでるため、昼下がりの田んぼ道をビビくんと駆ける。このとき幸せを感じた。この授業は来週がテストだから頑張る。大切なものコトをおもう気持ちにすごく元気もらってるなあと感じた。

28日(金)

さくさくっとすべての授業を受講し、来週からテストだなーっという気持ちに備えている。頑張れそうという気持ち。夜からバイトで掃除をして、店長とこれからのことを話したりして楽しかった。最近よく話す。

29日(土)

また夜からバイトで、新人くんと出会った。めちゃめちゃ優しい感じのベーシストタイプ(主観)のドラマーらしく、よろしくねーと挨拶した。バ先は結構居所を感じている。暖房があったかいせいかも。

30日(日)

朝9時から伝授デーで昼からはなぜか腹痛で寝込んだ。先週調子よくて好きな服と引き換えに薄着しすぎたせいかも・・。最近配信された曲にうなって彼らに感服するとともに創作したい気持ちにわずかな火がついた。

31日(月)

バリバリ良いフレーズが何個も来てどんな気持ちよりも楽しさが先行した。音楽ってこれだよなー!って気持ちで1月を一気に振り替える決心をした。そしてこれにて完結!2022年の1月ありがとう◎