記憶と海辺🕊️

4月から風のような日々が過ぎ去って、気がつけば5月になった。いまわたしは目まぐるしい情報量にうとうとしながら、勝手にうごく手足に任せて目的地をめざしている。眠たくなり始めたときの、運転手の感覚によく似ている。目的地というのは大袈裟だが、西へ東へと向かっているようなものだ。

 

5月1日。日付が変わってしまってから、2度目の月末をともに締めたことを認識する。盟友などの言葉では到底表すことができないような"人物"であった。元来、わたしは彼女のなかで、故人となっていたわけだが、どういうことか蘇生して言葉を交わすことができた。あの時、駅で声を掛けられなければ、おそらく、その後タイミングが何度訪れても、この場にいることはなかったのだと思う。

 

そこで5月3日に会うことを約束する。

 

5月2日、起床すると頭が重たいことに随分と意識をとられた。何もかも引き摺り回したこのながく重たい髪ではとても会える気がしなかったのだ。調べ出すとすぐに、月曜日に開いている美容室は少ないことを痛感した。10件リストアップして、6件目よくやく捕まえた。

 

5月3日午前3時、彼女の街へ愛車を飛ばす。こういうときに重大事故は発生するのかも知れないと思った。だから着いてすぐに、わたしたちと愛車の3人で、写真を撮った。そこから4時間掛けて海へ、ずっとずっと記憶の底にある映像をなぞるような旅。しかしどうにもわたしたちは、少なくともわたしの目に映るもののほとんどが、似ても似つかぬものになっていた。当時わたしはこんなに鮮やかな景色を、50パーセントは逃していたとおもう。もったいない。それほど、わたしのなかで何かが変わってしまったのだ。

 

4日未明、およそ24時間の日帰りを終えた。きっとこの先、月へ飛ぶことがあっても、それが1日かかる旅でも、この旅より長い道のりに感じることはないとおもう。