フォグ・ライトで照らして

12月9日(木)

ゼミの新歓でボーリングをコロコロ転がした。実に小学生ぶりである。一番最後に行ったのは団地の子供会のときで、今日突然ボーリングをやるなんて思いもしなかった。気持ちは初体験だ。

本題はさておき、私はしばらく不在をしながら水面下で生きていた。やることが増えているわけではないが、二人三脚の以心伝心が次第にずれていくように、私はバランス感覚を見失って毎晩朝を目前に寝るような生活をしていた。(いまもなおその最中なのだ。)だんだんと眠りが浅くなってきて、体は疲れた状態で目が覚めるし、しまいに今朝なんて交通事故の夢を2作も観た。腹一杯だ。すべては就寝前に事故現場のニュースのアーカイブを流し観た所為である。悪趣味であると思う。けれどこれは私が私の愛車と共に滅することを望まないことの表れであり(私は死んでも愛車は無事で生き続けてほしいのだ)、事故パターンの予測のための学習だと推察している。夜な夜な目を光らせて悪趣味を慣行する真意は私にもわからない。

本題へもどる。ボーリング場につき、ふいに日記みてますと声を掛けられた。私とは特別深い関わりのない人だったから、驚いた。逆はよくあるのだ。食事に行くような間柄になってから日記をみられること。私はこれまで日記から仲良くなった人物がいなかった。かつてのエピソードを話題にしてくれることがこんなに嬉しいことかと仰天した。

ボーリングは私が一番たのしんだ。
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帰宅後、自分から傷ついたりして狼狽えた。みんなの見えるところでひとしきり文字にしてみた所めちゃめちゃダサくて、そそくさと回収した。結局私はいろんな人を失ったのかと落胆して、すごく悲しくなった。大事な人たちに助けてもらった。心の於ける仲間やなあと思えるひとがちゃんといたってことに気づかされた。大抵不安は光をさえぎって、目の前のきらめきも見えなくしてしまう。もっと私のまわりは誇らしいのだと、きちんと認識しておきたいと感じた。

私にとってあなたたちは、誰がなんと言おうと何をしようと、ただ好きだ。

自分に都合が悪くなったら裏切りと言えてしまう浅はかな人になるつもりはない。